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インタビュー「経験だけは本人自身が積み上げていくしかないもの」建物管理部 肥後学

建物管理部 肥後 学 (前編)

目次[非表示]

  1. 1.「いい大学を出て大きな会社に行くだけが人生じゃない」
  2. 2.「経験、だけは本人自身が積み上げていくしかないもの」


「いい大学を出て大きな会社に行くだけが人生じゃない」


きっかけは、当時のアルバイト情報「FromA」の求人広告でした。



夏休みのアルバイトを探していたわたしは20歳の大学生。


会社は設立(平成二年)から半年くらい経ったころで、当時の社長(現会長)曰く、最初のアルバイト募集だったそうです。



根岸にあった1階がショットバーの、掘立て小屋のような建物の2階、元雀荘だったという事務所へ面接に行きました。


仕事は清掃ではなく、建築現場の雑工の日雇いアルバイト。


日払いで一日1万円でした。


会社自体も、ビルメンテナンス業務の担当者はいたものの、大手ゼネコンの下請け会社から孫請けとして受注する建築現場での雑工事が主体でした。


横浜みなとみらい21の開発が本格化したころです。雑工事の需要も高まり、会社でも多い時には日に50人以上の日雇いアルバイトが働いていました。



わたしもニッカボッカにヘルメットと安全帯を持って朝6時半に集合、電車かバスで横浜ランドマークタワー、横浜銀行本店ビル、三菱重工横浜ビルなどさまざまな建築現場に入っていました。それがスタートでしたね。



 大学で建築学科土木専攻だったので、「建築現場に行くのも人生経験。後々役に立つだろう」と
アルバイトは約五年間、週に5日以上のペースで続けました。


現場でゼネコン勤務の大学の先輩を見て漠然と、「自分もこのルートなのかな」と思う一方で、下請けの職人さんもたくさん働いていて、「こっちでも食えるじゃん!」と感じたものです。



必然的に単位が足りず、大学は在籍七年目で辞めました。


「なにもいい大学を出て大きな会社に行くだけが人生じゃない」と思い、社長に「アルバイトではなく月にまとめて給料をください!」と頭を下げました。


25歳のときでした。


「経験、だけは本人自身が積み上げていくしかないもの」


25歳で社員になった頃は、建設中のみなとみらいランドマークタワーのクリーニング工として従事していました。


その後、100%自社スタッフでの現場作業、大型作業車両も4台あり、昼夜問わずの現場作業が続いていました。


定期清掃を主軸とし、将来的にはビルメンテナンス業を営む方針となったことで、定期清掃受注に安定性を持たせることから、営業部が新たに創設されました。


営業担当者が新規受注のご挨拶へ伺う際に、プラスアルファのサービスも必要となり、設備部門も創設され、営業部、設備管理部、清掃管理部の三部門ができ、建物総合管理業の足がかりができたのです。


本社が保土ヶ谷区桜ヶ丘へ移転後は受注案件が急激に増え、さらにホテル管理事業も開始され、私自身もそれまでの現場メインの役割から、管理者へとポジションが変わりました。現在の仏向町へ移転してからは、新規既存顧客への営業から建物管理部全体の指揮をとる立場となっています。



20歳からホンモクで働きはじめてから、随分と月日が経ちましたが、今思えばあっという間でした。小さな事務所の家業から、横浜を代表する企業へ成長していこうとする過程で、様々な変遷があり、そのすべてに自分が携わることができたのは、いまの人生の糧となっています。


その中で感じることは、技術や知識は人から教えてもらえても、「経験」だけは本人が積み上げていくしかない、という事です。継続は力なり、とはよくいったもので「この職場で自分はやっていくんだ」と腹を決めたら、どんなことがあっても続けていく—。それが仕事の技術も、自身の精神力向上へも繋がると身に沁みて感じています。


今後、人口減少が加速していく中、ホンモクは社会に対してどういった役割を担っていくべきなのか。横浜の地域行事への参画や、子ども会社見学会も、地域密着企業としての社会貢献となるでしょうし、企業として生き残るために、若手採用や若者の考え方を積極的に取り入れていくことも必要です。


その中で、充分なイニシアティブをとることが、ホンモクでのこれからの私の務めである、と考えています。




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