-社長プロフィール③ HONMOKU-

一つの家業から
横浜を代表する企業を目指して

級オフィスビルから、下町の事務所へ

ホンモク(旧・株式会社本牧ビルサービス)へ入社すると、
それまで通勤していた都心一等地のオフィスビルから一転、
磯子にある事務所の一室が職場になりました。

だいぶ環境が変わりましたが、幼少時代、埼玉県内を転々としていたことから
下町や住宅街の雰囲気はすきだったので抵抗はありませんでした。

それよりも驚いたことは、年間の会社売上げが1億5000万円ほどしかなかったことです。
社員も数名。大学卒業者は1、2名のみ。
この現実を目の当たりし、
とにかく急いで売上げを作らないと赤字になってしまう、と焦りました。

そこで、それまで実践していた営業手法をもちいて、
ひたすらアポ取りの電話をかけまくったのです。
「ホンモクで作業管理をさせてください!」「神奈川県の定期清掃をさせてください!」
と会社のPRも兼ねて、管理会社へ架電する日々が何日も続きました。

すると3ヵ月後、横浜市内の老健施設から清掃管理の依頼が舞い込んできたのです。
金額にすると、月100万円、年間にして1200万円の案件でした。
この受注を皮切りに1カ月に1件の新規顧客を受注していき、
年間契約で4500万円を受注することが叶いました。

材が次々と辞めていく—会社再生の始まり

その後、新卒にあたる25歳以下の人材を6カ月間無料で雇用できる国のプロジェクトへ参加し、
若い人材をどんどん採用していきました。同時に新卒採用もスタート。
神奈川県内の大学から4名に内定を出すことができました。

しかし、ここからが地獄のはじまりでした。
建物の総合管理会社を目指すために、本社を保土ヶ谷区桜ヶ丘へ移転し、
新規事業のホテル清掃管理と設備管理を同時にスタートするも、
私自身のマネジメント経験不足から、営業担当、現場作業員までが
どんどんと辞めていってしまったのです。

慢性的な人手不足の一方で、新規案件は増えてゆく——悪循環なサイクルとなっていきました。
一方で、人件費が膨らみすぎ赤字へも転じてしまったのです。
ちなみに、当時採用した新卒者は現在、誰一人残っていません。中途採用者もしかりです。
今思えば、当時の私自身は精神的にも仕事管理能力もまだまだ未熟だったのです。
 
それでも、ここで立ち止まるわけにはいきません。
一斉に人材が辞めたことで、会社自身も生まれ変わらなければならない
タイミングだと思い立ちました。

社内では勉強会や環境整備の習慣を取り入れ、現場作業は協力会社様へお願いする、
自身も現場へ出向く、などの環境変化を図りました。
この環境変化が功を奏して、徐々に会社の体制は整ってゆきました。

新規のお客様はこれまでの飛び込み営業、テレアポ営業から、
WEBでのお問い合わせ対応へと切り替え、
社内の事務職は正社員ではなく、
地元の主婦を対象にしたパートナー社員へ任せることに舵を切ったのです。
環境整備が定着したことで、社内は見違えるようにキレイになり、整理整頓されてゆきました。

その後、2012年に専務取締役となってからは、実に多くの人々が私を支えてくださいました。
大手商社のグループ会社で役員をされていた方が入社されてから
「本物の経営現場」を直に教わることができました。
 
こうした素晴らしい仲間と共にホンモクも新たな再生をしてゆく中で、
元号が平成から令和へと変わり、その節目とともに、
当社も2019年に商号を「株式会社ホンモク」へと変更し、
社長職の世代交代も図ることとなり、私自身が専務取締役から代表取締役へと就任したのです。

そして、いよいよホンモクが軌道に乗り始めたと思った矢先、
前代未聞の新型コロナウイルスが2020年から世界中で流行をはじめました。

型コロナウイルスによる経営悪化から、社会共生企業へと進化

 実は、2020年2月辺りから雲行きがだんだんと怪しくなってきていたのです。
新型コロナウイルスの影響が直撃したのは、取引金額№1だったホテル管理事業でした。
相次ぐホテルの休業。そして、契約の解除。それが4社にものぼったのです。

社内ではホテル管理契約解除による、現場のメイドスタッフさんへの解雇通知。
それらが一遍に3ヶ月のうちに起こりました。
やむなく、本社の人員整理もせざるを得ない状況となり
今まで経験したことのない経営悪化に陥ったのです。
 
私は楽観的な性格から、それでもなんとか乗り切れるだろう、
と当初は思っていましたが、世情とともに経営も闇への一途を辿ってゆきました。
その頃、政府からの雇用調整助成金や給付金支給制度もありましたが
わたしは国の保証制度に頼ることはしませんでした。

理由はひとつ。私自身の気持ちに緩みがでて
結果、もっと深刻な経営不振に陥ると思ったからです。

そして人生で初めて、金融機関から借り入れをしました。
しかもいきなり億を超える借り入れをしたのです。
しかし、全く臆することはありませんでした。
これから横浜を代表する企業になるため、
今が正念場だ、と頭を切り替えたのです。
 
そんなとき、現場から情報が入ってきました。
新型コロナウイルスの消毒作業をしてくれませんか? 
という依頼がきたのです。
「ホンモクさんには突然の契約解除で迷惑をかけたのですこしでも恩返しになれば」
とのお話しをいただきました。

さらに私の知人からは、
「会社でコロナウイルス消毒作業を事業化したいから力になってほしい」
と連絡が入ったのです。
こんな偶然があるのでしょうか?!

まずはやってみよう、ということになり、
ホンモクで新たに保健衛生事業部を立ち上げて
コロナウイルス消毒作業を新たな事業として実施しました。

この新型コロナウイルス消毒作業の利益が
減少したホテル管理事業部の売上げを穴埋めする形となりました。


雨降って地固まる——最大の危機的状況から
そのピンチを逆手にとることで乗り越えることができたのです。

これもすべて今までの経験から、お金の損得勘定より
「人材こそが宝」である
という理念を貫き通した結果でもありました。

それでも正直に本音をいえば、非常に苦しかったです。
誰にもこの危機的な状況を打ち明けることができず、家族にも言えませんでした。

そうした孤独を経験してから、私はそれまでより一回り成長した気がしています。
 
ホンモクはこれから新たなステージへと向かいます。
私たちのビジョンを実現するため不動産業に進出いたします。
新しい事業へ踏み切ることには一抹の不安もありますが、
いまのホンモクには素晴らしい仲間が大勢います。

仕事は決して一人ではできません。
多くの知恵が結束してこそ、新しい道を切り拓いてゆくことができるのです。
それが、新型コロナウイルスが出現してからの二年間で、私の得た教訓でもあります。

これからの株式会社ホンモクは、スタッフ一同の力を合わせて、
遠くない未来に横浜を代表する社会貢献企業へ成長することを目指してゆきます。
今後も変わらぬ、ご指導ご鞭撻の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

株式会社ホンモク
代表取締役社長
鳥海敦士